廃線跡探訪 旧信越本線 碓氷峠(旧線 アプトの道)その1

スポンサーリンク

北陸新幹線開業(1997年)により廃止となった信越本線の横川駅ー軽井沢駅間の廃線跡を巡ります。

この区間には、「新線」と「旧線」と呼ばれる廃線跡が2本有ります。

開業時(1893年(明治26年))から1963年(昭和36年)に使用されたアプト式の「旧線」と、粘着式となった1963年(昭和36年)から1997年(平成9年)廃止まで使用された「新線」です。

今回は、「旧線」の横川駅ー熊の平信号所間がハイキングコース「アプトの道」として整備されていますので、そちらを巡って行きます。

写真は2019年当時のものとなります。

横川駅です。今はここで線路が終わってますが、1997年まではこの先にも繋がっていました。
駅の裏側(南側)の駐車場です。路面に線路が残っているところがあります。(高崎方面を向いています。)
今度は軽井沢方面を向いてます。線路は、碓氷峠鉄道文化むら まで繋がっています。
一つ上の写真の右手に写っている橋の欄干がこの写真の奥に写っている欄干です。川の護岸にレンガ積みの橋台が残っていました。1枚目の写真の車止めの先であり、この上を線路が通っていました。
反対側は、古いレンガに新しいレンガが足されているようです。

先程の線路を進んで碓氷峠鉄道文化むらの手前まで来ると、右手に「アプトの道」のスタート地点があります。

アプトの道を進むと、左手に碓氷峠鉄道文化むらの展示車両が見えます。
この当時はちょっと痛々しい状態の車両もありました。鉄道車両って置いておくだけだと痛むのですね。普段走っている鉄道車両が、いかに良くメンテナンスされているかがわかります。
道路の溝のフタに、かつてのアプト式のラックレールが利用されていました。
拡大してみてみると、歯の片側だけがすり減って表面にカエリが出ている様子がうかがえます。正真正銘、ラックレールとして使用されていたものの再利用ですね。
黄色の◯で囲んだところがすり減っている箇所。表面にカエリ(盛り上がっている)があることから、こちらに荷重が掛かっていたと見られ、坂の下側だったことが考えられます。
いよいよここからが廃線跡となります。道路に埋め込まれている線路も、かつての信越本線の上り線です。道路の左隣りの線路は、信越本線の下り線で、現在はトロッコ列車が走っています。鉄道文化むらから峠の湯まで乗車することができます。
複線の片方が遊歩道。アスファルト舗装なので、歩きやすいです。
1kmほど直線の登り坂が続きます。
架線柱にサルがいました。山が深いですね。写真にはないですが、当日はヘビも目の前を横断していきました。7月に訪れたのですが、夏場はいろいろと注意が必要です。
振り返って横川駅方面を見ました。写真の左右に信号機がそのまま残ってます。後ろの大きな橋は上信越自動車道です。
直線を登ると丸山変電所が見えてきました。左に写っているのがトロッコ列車です。トロッコ列車は「碓氷峠鉄道文化むら」から「峠の湯」までを結んでいます。乗車するためには、鉄道文化むらに入園することが必要です。
案内看板です。
柵にあった案内看板です。明治時代の写真とのこと。当時ここにはまだラックレールがありません。旧線の時代でも横川駅から丸山変電所までは複線でした。ここから先が単線となり、次の坂からアプト式のラックレールが敷かれていました。ちなみにこの変電所がある箇所は、丸山信号所だったそうです。
手前が機械室。機械式の変圧器がありました。奥の建物が蓄電池室。屋根が違う形になってます。(屋根の中央部にも換気用の窓があります。)
こちらの建物が蓄電池室。当時は内部に蓄電池から出る水素や硫酸雲霧が充満していたようです。その換気のため、機械室とは違う形の屋根になってます。
詳しい説明看板がありました。
裏側です。蓄電池室には、コンクリート製の部屋が見えます。
ドアがないので、中の様子が覗けました。中には入れません。
中の様子。なにか土台のようなものが見えますが、よく分かりませんでした。

丸山変電所を出て、更に進んでいきます。緩いカーブを過ぎるといよいよ急勾配の区間となります。

旧線時代は丸山変電所(信号所)を過ぎると単線となり、ラックレールが引かれ、アプト式の区間となります。

続編(その2)に続きます。廃線跡探訪 旧信越本線 碓氷峠(旧線 アプトの道) その2

他の廃線跡も巡っています。

・100年前たった9年しか存在しなかった幻の鉄道の痕跡を巡ります 廃線跡探訪 大仏鉄道 前編

・風光明媚な旧福知山線の廃線跡。トンネルと橋梁を堪能できます。廃線跡探訪 福知山線(前編)

・出雲大社参宮のための路線跡。終点の大社駅には重要文化財の駅舎が残っています。(2025年まで改修工事中です)廃線跡探訪 大社線(島根県)前編