廃線跡探訪 大仏鉄道 後編

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大仏鉄道の廃線跡探訪の後編です。  

前編、中編はこちら⇒ 廃線跡探訪 大仏鉄道 廃線跡探訪 大仏鉄道 中編

今回の探訪は、木津駅をスタートして加茂駅に至るルートで、大仏鉄道の廃線跡の約半分の行程です。

前編では木津駅から「赤橋」「梶ヶ谷隧道」を巡り、「鹿背山橋台」に向かうところまででした。

中編では、「鹿背山橋台」から「観音寺橋台」までを見ていきました。

この後編では、「観音寺橋台」から加茂駅に向かう行程となります。

ここからは廃線跡沿いの道がないため、少し外れたルートとなりますが、田園風景がきれいなところを通って行きます。

観音寺橋台を出て200mくらい進んだところで、ある「石」に気づきました。当日は気づかなかったのですが、ブログ作成中にgoogleのストリートビューで気づきました。

道沿いの小川を越えるために、2本の石が使われていました。全くの想像ですが、観音寺橋台の橋桁として使われていたものではないのかなあ?と思ってしまいました。

長さや石の幅が、「赤橋」(前編で紹介)で使用されていた石の橋桁とよく似ているように見えたからです。皆様はいかが想像されるでしょうか? 全く関係ない石の可能性も大です。勝手な想像で、全く根拠はございません。

参考:「赤橋」の橋桁です。なんとなく、石の形が上記のストリートビューに出てる「石」とよく似てないでしょうか?(勝手な想像です) 廃線跡探訪 大仏鉄道 前編にて紹介しています。

「石」から50mくらい進むと小さな橋を渡ります。下の地図の丸で囲んだ所です。

このあたりから、田園風景がひらけてきます。

ここから一気に視界が広がります。この日は天気もよく、飛行機雲がたくさん見えました。
観音寺橋台の方を振り返った風景です。田んぼの奥に見える築堤が関西本線です。
小さな橋を渡ったところです。(上の写真と同じ方角を写したものです)
上の写真の拡大です。今回とは逆向きのルートを巡られる場合の案内看板がありました。あと、写真左側の青い水門のバルブの後ろに、お地蔵さんが祀ってありました。中株地蔵と言われるお地蔵さんです。こちらも後日に気付きました。
田園地帯を進んでいくと、遠くに関西本線の電車が見えました。大仏鉄道も同じように見えていたのでしょうか?
F地点まで来ました。府道324号線(木津加茂線)にでましたので、右へ進みましょう。
案内看板のアップです。一番上の看板は、大仏鉄道ウォーキングのときのものです。
G地点に来ました。本来ならばここは直進するルートだったのですが、私が参加していたグループは左へ進みました。木製の案内看板にもあるように、加茂駅へは左のほうが近いと思われ、そちらを選択されたと思われます。
G地点を左折し、赤田川の堤防に出ました。そこから加茂駅方面の景色です。のどかな田園地帯が広がっています。写真中央の高層マンションのふもとに加茂駅があります。
大野踏切に来ました。ちょうど踏切を渡って、今まで歩いてきた方向を振り返った写真です(左が木津方面、右が加茂方面です)。踏切の脇の小川の橋台部分ですが、現役の線路の手前側まで同じように石積みがありました。
ちょうど線路をもう一本引けそうなくらいの幅に石積みがあります。想像ですが、これも大仏鉄道の痕跡なのではないかと思ってしまいました。(木津方面を向いて写しています)
こちらは加茂方面です。線路の右側にもう一本線路が引けそうな空間が続いています。

大野踏切を過ぎると、正規のルートとなります。次はSLのC57を見ましょう。

このC57が1937年(昭和12年)に生まれたとのことですが、大仏鉄道は1907年(明治40年)に廃線になってますので、廃線から30年後に生まれたことになりますね。
運転台横のプレート類です。昭和13年(1938年)川崎車両製造とあります。前の写真の説明看板と若干違うようですが、ほぼ同じ年代ということです。奈良機関区の標識が取り付けされていました。
1937年(1938年?)川崎車両兵庫工場で製造。小郡(山口)、岡山、糸崎(広島)、高崎(群馬)、亀山、奈良、和歌山、紀伊田辺と各地で活躍してきました。1951年には映画のワンシーンで使用されたり、1959年には当時の皇太子殿下(今の上皇陛下)の伊勢・橿原神宮ご参拝のお召し列車を牽引した記録もあります。(「デゴイチよく走る!」さんのホームページの「機関車データベース」を参照させていただきました(詳しいデータをありがとうございます。)。リンクはこちら⇒ http://d51498.com/db/C57/C5756
SL近くの線路脇です。こちらも溝のところが小さな橋台のようになってますが、コンクリート製のため、さすがに大仏鉄道とは関係ないかなと思います。

次は最後の見どころ、ランプ小屋に向かいます。ランプ小屋は加茂駅のすぐ横です。

ランプ小屋とは、列車内や駅、保線作業など夜間の照明にランプが使われていた時代、その燃料を保管するために使用されていた倉庫です。危険物を保管するため、レンガ造りの頑丈な建物の場合が多いです。明治時代の終わり頃には列車内は電気照明が普及してきたため、次第に燃料保管の用途が少なくなり、現在では燃料倉庫としての役目はありません。

ランプ小屋です。当日は内部も見学させていただきました。人が多く正面からの全体写真が取れませんでした。
入り口の木枠右上に建物財産表がありました。このランプ小屋は明治30年(1897年)10月にできたものですね。
ランプ小屋の案内看板です。こちらに詳しく案内が書かれていました。
ランプ小屋の中です。中の壁はレンガではなく白い壁になってます。漆喰でしょうか? 今は倉庫として使用されています。古い看板が良いですね。
左の方には、結構細かいものも保管されていました。
壁には、額に入った昔の目標や手順などがありました。
屋根の上です(鬼瓦?)。関西鉄道のマークだったら良いなと期待したんですが、違いました。
後ろから見たランプ小屋です。重厚な造りです。このレンガ積みはイギリス積みかと思ったんですが、オランダ積みだそうです。角の部分の積み方にそれぞれ違いがあるようです。
おまけです。加茂駅のホーム端(立ち入り禁止部分)にある昔の跨線橋の支柱です。後ろの架線柱と被ってしまってわかりにくいですが、手前の白い柱がそうです。下の方の角柱の部分に、なにか書かれているのですが、読み取れませんでした。

以上が今回の全行程です。

逆から回るときは、後編から中編、前編と見てもらえばよいかと思います。

今回は、9時30分に木津駅を出発し、加茂駅前のランプ小屋到着が12時ちょうどでした。

ゆっくりと遺構をみながら、写真撮りながら、景色見ながらの2時間30分の行程でした。

全行程が廃線跡というわけではありませんでしたが、見どころも多く楽しい行程でした。

基本的に、廃線跡には急な坂道はありませんので、皆様も是非いかがでしょうか。

もう一度前編を見る ⇒ 廃線跡探訪 大仏鉄道 前編

    中編を見る ⇒ 廃線跡探訪 大仏鉄道 中編

その他廃線跡を見る ⇒ 廃線跡探訪 福知山線(前編) 

            廃線跡探訪 大社線(島根県)前編

川の跡の廃川跡もあります ⇒ 菱江川の廃川跡

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